Twinkling boys

This could be a special romance

N2Nと色々なお気持ち

 


N2N〈next to normal〉の感想だけは書いて終わらなきゃ〜と思いつつ,思うことがありすぎてこんな時期になってしまった.

 

 

 

今回私がN2Nに出会ったのはA.B.C-Zの橋本くんが出演するからというただただそれだけの理由で,こんなに自分ごととして考える作品になるとは思わずとりあえず東京で2回ぐらい観ておこうかな〜でチケットをとっていた.

 

 

 

0402夜(A)

ほんとはこの日に個人的初日の予定が,ぎりぎりで濃厚接触者になってしまい観られず.なんかこういうアクシデントもあるから,やっぱり初週からチケット取っておいた方が良いんだよな〜と実感.

 

 

 

0410夜(A)

そしてやっと個人的初日.この日はマチネに『子どもの一生』を観ていて,なんだか精神疾患づいてるな〜などと考えながら"ネタバレ踏むべからず"とのTLの教えに従い「パンフレットの橋本くんかっこいい〜」とによによしながら着席.

 


パンフレットのあらすじを読んでいたので,双極性障害のある母とその家族を描いた話なのね〜と思い込み観劇.当方当事者と関わる職についてるため,ダイアナの一挙手一投足にあ〜あるあると思ったり、ダンのダイアナに対する関わりにえええとなったり,聞き馴染んだ薬物名におおとなったり.そして橋本くんのお歌が上手くなってて偉いきゅん!となったり.初日にして最前センターだったのもあって,内容のパーツと橋本くんの可愛さにめろって観劇が終了.

 


前週に1回目予定のチケットが消えていたために,ほんとはこの日が最初で最後だったんだけど,TLのN2Nへの評価の高さをいまいち実感できなかったな〜という感覚で,これはワンチャン遠征あるかな〜と考え始める.

 

 

 

遠征あるかな〜と考えはじめてる時は大体いつだって自分の中では遠征することが決まっている.ということで星組のムラ初週と抱き合わせられるじゃん!と気づいてしまったのが運の尽き,はるばる兵庫まで遠征に行く.この間にパンフレットを読み込み,初演ではダンへの共感が多かったことや,今回は理解が進んでダイアナへの共感が多くなるかもというクロストークにへえとなる.

 

 

 

0423夜(A)

2回目観劇.なんで初日観た時はあんな平然とした顔で帰って来れたんだろう?と思うぐらい泣く.【ダイアナと愉快な仲間たち】だと思って観ていたものが、パンフレットを読んだのとかもあって【グッドマン家】の話として見えた.特にナタリーを取り囲む環境にナタリーは私か???と思いすぎて,あ〜〜ということはグッドマン家は機能不全家族…ということに気がついてしまう.初観劇時はゲイブ含めドタバタだけど,家族としてどうにかやってる【4人家族の話】として観てしまってたので.あ〜なるほど,ナタリーはAC街道待ったなし,ここで救ってくれたヘンリーってほんとにほんとに"唯一の光",とようやっとTLの評価を理解する.

 

 

 

0424昼(A)

前日は泣き疲れてホテル帰って何も考えられずバタンキューしてしまったので,何も感情整理できぬまま3公演目.開始10分ナタリーがヘンリーに「あきらめるの早すぎ」と放った段階で泣く.ずっとナタリーのこと見てきたヘンリーだからあの1回で諦めてたとも思えないけど,でもナタリーが放てたからこそ光を捕まえられたひと言.なんかもうナタリーの心情がまるっと全部わかりすぎて、ナタリーが歌うたび泣いていた3公演目だった.

 


ナタリーに自分を重ねた一方で,"ダイアナのパーフェクト"になりたくて若くて泣いてる自分に蓋をして振る舞ってるダンにも,活発すぎる母親のもとで(おそらく自分を見てもらえないまま)育って自分に応えてくれる"唯一のパーフェクト"としてゲイブを愛しているダイアナにも,そんなダンとダイアナの元で生み出されてしまった正夢で悪夢,誰よりも活き活きしてるのに肝心の肉体がなくて生きたい!生きてる!なゲイブにも共感出来てしまって,なんか誰も悪くない,けどやっぱりナタリーは被害者だなあと思ってしまった.だからこそ拗れて周りを簡単には信頼できないナタリーに「僕をあきらめないで」と説き続けてくれたヘンリー,君ってほんとに!

 

 

 

兵庫までで3公演観て,こんなにも共感で気持ちが死んだ作品初めてだな〜というのと,なんか私自身も自分の周りの蓋してるあらゆることに目を向けなきゃいけないターンなのかな〜と,ターニングポイントになりそうなこの作品のラストを見届けようと決める.Aチームとは全く違うグッドマン家を演じてると噂のNチームも観たいな〜と思いつつ,いかんせんNチームのチケット譲りぜんっぜんない!な状態でとりあえずAチームのチケットだけ手に入れ名古屋へ.このコロナ禍だしぎりぎりで譲り出るかもとずっとTwitterに張り付いていた結果,開演30分前にご縁ありチケットを手に…(神)オタクのフッ軽力の賜物.

 

 

 

0429昼(N)

ということで観たNチーム,家系コテコテミュージカルのAチームと塩味さっぱり音楽劇のNチームくらい仕上がりが違う.Aチームは経験者がいるのもあって皆んながんがんミュージカル力で語りかけて来てたので,Nチームのスッと歌詞の聴き取れる歌うまに驚く.そして異様に各々が淡々としている様に,このグッドマン家はここまで16年間同じ屋根の下で生活して来たんだよね?と疑問が湧く,それぐらいあっさり.屋比久ナタリーの「あきらめるの早すぎ」もなんか余裕があって,昆ナタリーより拗らせてないし真っ直ぐだな〜という印象.でもAチームの自分の問題と他人の問題をわけて考えられないグッドマン家と比べたら,依存し合ってはなさそうなNチームのグッドマン家ナタリーはそれが正解なのかもという気がしたり.

 

 

 

0429夜(A)

最終公演,大千穐楽.兵庫で出し切ってしまったからかNチームの余韻からか,割とあっさり観終える.海宝ゲイブをはじめ,橋本くん以外全員元気すぎてもはやウケる,Aチームラブ.

 


カテコの挨拶で感涙する安蘭さんの手を真っ先に取りに行った昆ちゃん,挨拶中ず〜っと手を繋いでぶらぶらしててAチームの母娘間の絆に泣いた.Nチームの母娘と比べると我が家の状況はAチームの母娘に似てるという共感と,自覚はずっとあったけどでも認めたくない気持ちとでぐちゃぐちゃで,だからこそAチームの昆ナタリーにはずーっとゲイブが見えていたんじゃないかなあと思った.ダイアナの体調の波だって16年間ずっとあんなだったじゃないだろうし,学校行事に行きはしてたとかあの状況なりにナタリーを娘として育てて来たんだろうけど,いかんせんダイアナ自身も自分の中の娘が育ちきってないというか未熟だったんだろうなと.昆ナタリーは自分を見てるように見えて自分の後ろにいる存在にしか気持ちが入ってない母親にずっと気づいてるし、でもその見えないはずの存在が今の"家族のカタチ"を維持するための柱になってしまってるのもわかってて,母親であるダイアナや今の"家族のカタチ"を崩してしまうぐらいならとずっと我慢してきたのかな〜とか.ほんとは自分を見て欲しいナタリーと,僕を見て僕を見てのゲイブ,どちらの気持ちも痛いくらいわかってしまって,もう少しバランスさえ違ければ見えないはずのゲイブ含めた"4人家族"というカタチが,Aチームのグッドマン家の正答解だったのかもしれないと思ってしまうくらい,Aチームは全員が全員ぶつかって闘ってる家族だったな….

 

 

 

✳︎

 

 

 

それでな,両チームともこのコロナ禍の中走り抜けてめでたいという気持ちと,ダイアナの状況に共感できる層が増えて社会は変わってるのかなの気持ちもありつつ,それでこの先は…?と思ったこともあって.

 

 

 

まず第一に精神疾患を診断されたダイアナ以外の家族を支援してくれる社会資源はなかったのか?という疑問.最後こそダンはドクターマッデンの患者になったけど,ここまで17年?ダンだって息子を亡くした当事者なのに,精神疾患を患ったダイアナばかりフューチャーされてダンが休まる隙はなかったよなぁ?ナタリーにだって傷つけ合わないパーフェクトを目指せるヘンリーが現れたけど,爪が割れるまでピアノを弾いてるのとか完全に自傷行為でしょ.これはアメリカで製作された当時の時代背景諸々もあるんだろうけど,グッドマン家各々が自分の〈next to normal〉を見つけて前進して,観客が「良い話!〈next to normal〉がちょうど良いよね!」みたいなわかった風の薄っぺらい感動を抱く作品として消化して良いのか?という.

 


Aチームのナタリーにナタリーは私で,私はナタリーでみたいなぐちゃぐちゃな共感をした私としては,ここまでの16年間誰もナタリーに手を差し伸べてくれなかったの?,ヘンリーと出逢えてハッピーエンドで良いの??という気持ちでいっぱいで.グッドマン家のように端から見たら幸せな家族に見えてしまってる機能不全家族でぐつぐつ育った私としては,進級進学するたび今度の担任にこそヘルプを出すんだと喉まで出かかって,結局誰にも救いを出せぬまま他人を信頼できない大人になってしまったので,あの時ナタリーは「あきらめるの早すぎ」と言えたから救われたけど,それって全員に訪れるラッキーじゃないよなあと.

 


両親が揃ってるように見えたら幸せなのか?それが離婚再婚を繰り返す偽りのカタチでも?,新しく妹や弟が産まれたら幸せなのか?ただでさえ子ども心に蓋をして育ってるのに"小さいお母さん"なんて呼ばれて??,活発で活躍する母親が立派なのか?家に取り残された子どもが家事育児担わされてるんだけど???他諸々,ヘルプを出したいと思いながらもこれがノーマルとして生きてきた身としては,ノーマルを目指すも何もこれが歪なノーマルで.「〈next to normal〉がちょうど良いよね!」って層は,ほんとのほんとのノーマルな環境で育ってきたんだなと呆然と絶望を繰り返す.N2Nは家族の話だけど社会の話だよな〜ということは兵庫観た後から実感してて,今の"多様性認め合いましょうね"という風潮を,"〈next to normal〉でちょうど良い"に消化しちゃいけないのではと危惧を抱く."多様性を認め合う"とか"〈next to normal〉で良い"とか,ともすれば見て見ぬ振りが助長されてしまうのではと思うので,私はナタリーや私自身のような環境の人間が孤立せず救われる社会にならないかな〜〜と考えさせられた.

 

 

 

もう一つは精神疾患に対する日本社会の土壌…という話.ひと公演目観た後は誰にも共感出来ず,パンフレット読んで日本初演はダンへの共感が多かったけど,この数年で認知が広がったからダイアナへの共感が多くなるかもという話にへぇと思ってたんだけどいまいち共感出来ずで.オタクのブログで「病気にならないまでも,自分も月に一度はそういう周期が来る」という話を読んではじめて,あ〜ダイアナへの共感ってそういうことかと納得した次第で.

 


私自身家庭状況がぐっちゃぐちゃで完全に参ってる日も,月に一度の周期で沈んでる日もあって,精神がどうしようもなくなって余裕がない状況っていうのは間々あることで,自分ではコントロール出来ないスペクトラムの上にあるものという解釈もしてるんだけど.でも職業柄接してる当事者からは"あなたは健常者だからわからないと思うけど,"という前置きの上,会話をされることもあって.実際に服薬して生活リズム整えても,幻聴とか妄想とか気持ちの浮き沈みに振り回されてる人ともたくさん関わっていて,なんかやっぱり自分の感じてるスペクトラムの上には当事者の状況は乗っからないのかな〜?と思い直したりもしていて.だからこそ双極性障害という前情報があったダイアナを見て,共感ではなく症状が…という見方が先行したのかなとも.

 


今回N2Nで私のように痛く共感を抱いた層がいた一方,まったく共感出来なかったという層もいて.その人たちの意見としては「ダイアナのヒステリックが理解出来ない,大人なら自分で自分の機嫌取るべきでは?家族が可哀想.」というもので.私自身もダイアナのことは育ちという面では共感するけど,家族への接し方はまぁ症状もあるよなという見方で,その周期的な共感はあまりなかったんだけど.それにしても言い方ょ.こういうご意見の人たちはほんとのほんとのノーマルの中で生きてきて,ダイアナのような状況の人の気持ちを慮れないんだな〜という見方も出来るんだけど,それにしても.

 


日本初演時を振り返ると私はまだ小学生やそこらなので,当時の日本から精神疾患への扱いがどの程度進歩したのかはわからないんだけど.まぁブラック企業による鬱とか過労死とか,女性の周期の話と社会進出とか,発達障害とかそれに伴う二次障害とか,そういう話が取り沙汰される機会自体は増えたんでしょう.それで一般市民への理解は広がったのか?支援者であって感覚もなんとなくわかるという状況の私ですら"あなたは健常者だからわからないと思うけど,"の対象に見られてしまうんだけど.

 


前述した"多様性を認め合う"の話じゃないけど,わかったつもりになって本質をわかってないとか,自分を含む多様性に相手も適用してるものとして扱ってしまってないかとか.健常者も精神障害者もN2Nに共感出来なかった人たちも,各々が自身のスペクトラムの中で日々生きていて,調子が良い時も悪い時もあって.同じストレスでもその日のコンディションによって,反応の出方は違うだろうし,同じ人で同じストレスでも自分で自分の機嫌を取れる日と取れない日があるだろうし.だからこそ私が自分で自分の機嫌を取れる状況でも,他人にとっては自分で自分の機嫌を取れない状況かもしれないし,精神疾患を診断されて服薬中の身なら尚さら,自分自身のことをコントロールするのって一筋縄じゃいかないんだろうなと.

 


どんどんN2Nと話が逸れてるんだけど,私はその「共感出来ない」とご意見してる人たちを見て悲しくなってしまって.言論の自由があるので私が見なければ良い話でもあるんだけど,その人たちのそういう発言って実社会でもしてないか??という.あなたが共感出来ないのは勝手なんだけど,「共感出来ない!どんな時でも自分の機嫌は自分で取るべき!」と言ってしまう人がいることで,色々なことを言い出せない人が身近に出てこないか??

 


精神保健領域で働いていて,ここに属するのって精神障害者と医療従事者と支援者と家族とって限られていて,精神疾患に対して理解が広がってるとは言うけど私の見えてる人たちは,この理解のある安全な場所から離れては生活していなくて.こういう人たちがほんとに地域で暮らせる状況になってこそ理解が広がるとか,アメリカのように薬の名前が出ただけで笑えるような土壌になるんだろうな〜とこのN2N期間中に思っていたので,この共感出来ない層の人たちの発言を見て,日本!ほんとにまだまだなんだな〜〜〜〜!と強く実感させられた次第でした!国民皆んな余裕のない社会だと思うけど,もう少しずつだけ相手はどうかなと考えられて,当事者が"あなたは健常者だからわからないと思うけど,"という前置きをつけて話さなくても済む環境になりたいです!ね!!

 

 

 

 


という私からのご意見.

 


ぐるぐるしてる間に気づいたらクリエで初めて見た日から,ひと月以上経ってしまっていた.考えることがありすぎて結果,何もはじまらないという,喉まで出かけて終わりというのは私恒例.とりあえず忘れる前に4年ぶりの記事を書き切れそうなので良かった〜と思いつつ,今後何度も反芻するであろうN2Nに出逢えて良かった(?)のひと月でした.